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マサシの運動場 1

マサシはぐんとスピードを上げた。
西荻窪の歩道のない一方通行の道を、車とは逆方向に自転車で走るのは簡単ではない。
細い道をこちらに向かって走ってくる自動車。歩行者やママチャリに乗って悠然と道路を横切ろうとする年寄りもいる。
自動車はときには左右どちらかに寄り、あるいは止まり、歩行者の安全に気を配りながら疾走する。
それは歩行者も自転車も同じであり、その道幅の狭い商店街では、すべてのものが周囲に気をつけながら移動していた。
その間をマサシはかなりのスピードですり抜けた。吉祥寺方面へ向け、全身にしっとり汗をにじませながらリズミカルにペダルに力を落としていく。
目指すは、西荻窪駅と吉祥寺駅のほぼ中間に位置するJR線高架の下に設けられた運動場だ。
運営しているのは武蔵野市である。
運営と言っても、有料の運動場ではない。無料で、予約の必要もない。誰も使用していなければ、武蔵野市民でなくても使えるという、ひと昔前の空き地のようなスペースである。
広さにしてテニスコート2面分くらいだろうか。野球場のダイヤモンドよりもやや小さい。
マサシはその運動場が、「運動場」と呼ばれるずっと以前からピッチング練習に使っていた。
まだ金網で囲われるまえ、高架下をまっすぐ線路に沿って吉祥寺へ抜けられる道であった時代に、マサシは、通行人に注意を払いながら高架を支えるコンクリート支柱に軟式ボールをぶつけていた。
いつからか、そのスペースは金網で囲われ「武蔵野市運動場」と名前づけられ、近所の子供やスポーツに興じる大人たちが無料で使うスペースとなったのだ。

月曜日だった。
いつも運動場を使っているサッカー少年たちは学校へ行っている時間帯である。今なら、かなりの確率で運動場は空いているはずだった。それでもマサシはペダルの回転をゆるめられなかった。1秒でも早く到着したかった。もし誰かが自分より早く、それが一瞬であったとしても、自分より早く到着していたら、マサシに運動場を使用する権利はないのである。


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タイムスリップしたような…



午前9時30分起床。
この季節にしては暖かい朝。
太陽が見えているせいか。

毎日使っている低反発敷き布団・トゥルースリーパーの上でひと通り柔軟体操をすませると、たまっている洗濯物を洗濯機に押し込みスイッチを入れた。

寝室にもどると、いきなり急に寝室の隅に積まれているダンボールや使わなくなったパソコンモニターなど、おそらく7~8年前から手も触れていないであろう物体の山をどうにかしたくなった。
ダンボールを一つ動かすとホコリがブワッと舞い上がる。それも小さなホコリではなく、全長5cmはある巨大なホコリまでが一緒に舞い上がる。探検家がピラミッドの中で宝でも探しているかのような錯覚をおぼえる。口から息を吸い込むと巨大ホコリをまともに吸い込んでしまいそうなので、なるべく鼻で呼吸する。すると巨大ホコリは空気の流れに乗って僕に近づいてきて鼻孔をふさぐようにしてペタリと鼻に吸い付いてくる。なぜ僕は朝から寝室でこんな思いをしているのか。

ダンボールを解いていくと若い頃の妻の物と思われるボールばかりだった。古いMDやフロッピーディスクなどの中に、本当に古い財布があった。まさか札束がぎっしり入っているなんて事はないだろうなと手に取って開けてみると札束がぎっしり入っていたので一人で声を上げて驚いてしまった。

札束は1000札37枚と500円札5枚。
500円札!そう、500円札だったのである。印刷された肖像画が誰なのかすら覚えてない。
1000円札にしたって、印刷されているのは伊藤博文の肖像画である。
僕は、タイムスリップした気持ちになった。
というのは、今月初めに図書館で借りてきた本の中にそういう小説があったのだ。
30年前にタイムスリップしてしまった青年。
現金は30万円持ってはいたが全て現代のお札であったため使うことができず、若い頃の父親に助けを求めるというストーリィだ。いや、厳密に言うとちょっと違うかも知れない。
しかし日常生活の中で急に旧札を目にすると驚く。特に500円札はかなり衝撃力を持っているとわかった。問答無用で過去の思い出の中に引き戻されるような気がした。
しかし僕自身、500円札を使っていた時代のことをどれだけ覚えているかというと、実はほとんど思い出すことは出来ない。つまり、500円札を見たことで引き戻された意識であったが、着地点がわからず空中で分散してしまった、と言ったところだろうか。

外を見ると雪が降り始めていた。
僕は、急いで洗濯物を取り込んで部屋の中に干した。
この時期、空気が乾燥しているので部屋干しでも十分に乾くので助かる。
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臨時収入

再就職のための面接を終えた妻と、西荻窪駅前の回転寿司「天下寿司」で寿司11皿と生ビールを胃袋に流し込んだ。
いい感じで満腹になり、心地よい夜風を感じながら家路につく。
来週、この西荻駅前で草野球チームバッカスの新年会が開かれる。
幹事は僕だ。
一度も行ったことのない店に、賭けで予約を入れた。
幹事の責任上、一度くらいは店の外観を見ておこうと、妻と二人で店の前を通り過ぎる。
新宿のゴールデン街の雰囲気に近づけようとしているのか、雑多で安っぽい、それでいながら興味をそそる店が軒を連ねていた。

家の近くのコンビニエンスストアでカップアイスを買った。
やはり気持ちが大きくなっている。
夕方、家を出る前に金銭出納帳を何とはなくパラパラとめくっていたら、封筒がはさまっていた。中には一万円札。
臨時収入に小躍りした。
金には困っていたので、本当に嬉しかった。




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体重現状維持

昨日食ったのにさっき風呂上りに体重計に乗ったら増えてなかった。
ぜったい74㎏超えたと思ってたが73.6㎏。
メカニズムがわからない。
体脂肪率も21.0%と低い。
いったいどうなっているのか僕の体は。

でも今日は食べないと決めたので水しか飲まない。
動物は飢餓状態があった方が健康的になれると自分に言い聞かせ頑張る。
インスタントラーメンやお湯をかけるだけのカップ焼きそばを食べるのは体に悪いのか。
体に悪いということはないと思う。
それしか食べないことが体に悪いのだと思う。
それしか食べないというやり方をしなければ体に悪くないのだと思う。
たまごや野菜や牛乳などを同時に採っているので体には悪くないと思う。

10時からの安売りの朝市で一枚199円の厚切りロースカツを買おうと10時10分に行ったらすでに厚切りロースカツは売り切れであった。
大きめのバットの底にはかつてロースカツが山と積まれていたことを想わせる狐色のパン粉のカスとなぜかレタスの葉が一枚。
むしろ開店から10分遅れてきたために恐ろしい形相でロースカツに群がる主婦軍団を目にしなかった幸運に感謝する。

今日は食べないと決めたのになぜロースカツを買いにいったのかが分からない。
とにかく今日は油断せずに空腹状態を貫き通すと決めたのだ。

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仕事のぐちと休日の考え方

どうしても仕事に向う気がしない時があるもので、そんな時の対処方をいくつか持っていないと本当に苦労する。
一日ひとつも仕事をせずに過ごすと、それが癖になって2日目3日目も同じように過ごすこととなる。
仕事は辛い。
僕の場合は好きなことを仕事にしているので、本当に辛い仕事をしている人には頭が下がる思いだが、僕は僕で仕事は辛いと思っている。
確かに、人間を取りまとめて動かすような仕事に比べたら楽な仕事だと思う。
人間関係で板ばさみになり、それでもノルマを達成しなければ上から鬼のように責められるような職種の人は本当に大変だ。
そんな訳で、それなりに大変な仕事をしている僕は、毎日机に向かうのが嫌になっている。
仕事なんだから楽しくはない。
いくら好きなことでも、やれと言われれば気持ちも萎える。
僕はそういう性格の人間なのだ。

好きな事を何でもしていいと言われたら自分は何をするのか考えてみる。
おそらくテレビゲームや読書、漫画喫茶へ行ったり文房具屋さんへ画材をのぞきにいったり…。
そんなこんなで一日を無駄にしてしまうに違いない。
いや、無駄でもいいのだ。それが僕なりの「好きなこと」なのだと確信している。
40歳を過ぎるとあきらめの境地に近い。自分はそういう人間なのだと開き直っている。
むしろ何か有意義な過ごし方をする休日など、僕から言わせれば、「有意義に過ごさなければならない時間」であって本当の意味の休日ではない。
休日とは、何もしてはいけない日なのである。
いやいや、そう断言してしまうとまた何物かに指令を受けたようになってしまうからだめだ。ただぼんやりと、何となく過ごしていたら、結果的に何もしなかった。そういうのが望ましい。
可能であれば食事もしないでおきたい。断食である。つまり消化器官も休ませてあげようという趣向だ。これで本当の意味で体中が休んでいると言えるのではないだろうか。

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貧乏大学院

冬は寒い。
それは当たり前だが、去年までの僕は冬でも寒くて手の甲や指先がぴりぴりしびれて細かい作業もできないほどになる事などなかったように思う。
その原因は、世の中の信じられないような不景気と、僕の個人的な不景気が重なったために金欠になり、このところ値上げしている電気代を節約するためにエアコンを一切作動させていない事による。
昨年までは、冬の仕事にはエアコンは不可欠だった。
元来、僕はエアコンは好きではない。手足が温まる前に顔がほてってきてしまうからだ。
それでもエアコンをがんがんにつけ冬を乗り切っていた。
しかし、今年の金欠が僕の冬を厳しいものにしている。
寒さというのはこんなにも厳しいものだったのか。
貧乏は最大の教師であるなんて言葉、どこかで聞いたことあるようなないような…。
偉い人が言ったような、あるいは自分で夢の中でみたような。
さいきん僕は、由来を知らない格言を繰り返し思い出す。
確かに貧乏は、生きるということすべてを教えてくれている気がする。
なるべく安い物を探して買うこと。必要のない物は買わないこと。無駄に喫茶店には入らないこと。のどが渇いたら水を飲むこと。欲しいという衝動を受けたら買う前にまず考えること。お金がなくても健康なら毎日幸せであること。
貧乏は学校である。
レベルで言うと大学院レベルではないかと僕は思っている。
いや、全てを網羅しているとも言えるだろうか。
小学校から大学院まで、すべてをカバーしているのが貧乏であるのだと僕は思う。

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